代理母。。。

2001年5月21日
最近、ニュースになってるね。
…代理母。

子供が欲しくて。でもどうしても出来ない。
例えば、子宮を切除したとか…。

そういう人が、最後の手段として「代理母」という道を選ぶ。…気持ちは解らないでもない。

個人個人、感じ方や考え方は違うけど。
私の希望は、自然に任せたい。

子供はかわいいし、好きだし、出来れば欲しいと思う。(この“出来れば”っていうのは“可能ならば”ってことです。念のため)

でもいなければいないなりに、生めないなら生めないなりに人生の楽しみ方ってあると思うし。

中には結婚してる、と言うと「子供はまだか?」と聞く人がいる。
「まだです」と答えると「あんたはいくつや?」とくる。
素直に年齢を答えると「早よ生まな、後が大変やで」とか「もうええ歳なんやから…」などと言われる。
「そうですね〜。でもなかなか縁がなくて…」と、顔では笑って答えるが、内心「またか…」って思っちゃう。

「縁がない」のではなく、今はつくろうとしていないのが本当ではある。
それは、経済的なことが理由だったり、お芝居を続けたいことが理由であったり…。
でも、私の根底にある本当の思いは「こわい」のだと自覚している。
出産するというのも確かに怖いけど(痛いだろうな〜とかね)でもそれは、無事に生まれてくれれば、何事にも換え難い喜びと幸せになると思う。
私がこわいのは、生まれないこと。…つまり、流産。

4年前に私は流産を経験している。
初めての妊娠で、喜んでいたのも束の間、11週目で大きな子宮筋腫が見つかり、稽留流産していた。
掻爬術の後、筋腫の切除手術をすることになった。
流産の原因は不明だったけど、掻爬術の結果「胞状奇胎」であると解り、筋腫の手術は見送られた。
胞状奇胎の組織検査をしないと、手術できないそうだ。
結局、検査の結果がでないうちに筋腫が痛みだし、5日後に緊急手術。組織検査の結果も良性とのことで幸いでしたが…。

1ヶ月半ほどの妊婦でしたが、母性というのは目覚めるもので「この子が助かるなら、自分の命は要らない」と本気で思えました。「たった一度抱けたら、それでいい」(←ちょっと欲張り)そう思ってたけど、赤ちゃんは助かりませんでした。

「病気を知らせに来てくれたんだよ」
皆がそう言って私を慰めてくれました。
確かにそうかも知れない。
つわりも起こさない、親孝行な子だったから、自分を犠牲にして私を守ってくれたのかもしれない。
でも、あの子を守れるのは私しかいなかったはずなのに、逆に守られたのが切なくて…。

今でも、赤ちゃんを見ると涙が出そうになることがあります。私の子供の分も生きて、幸せになって欲しいと思います。

人には色んな思いや事情があるのは解るけど、やっぱり私は代理母をビジネスにはしてほしくない。
技術的に可能でも、人工的に命をつくりだすことは私はしたくない。
もし今後子供が望めないのであれば、私の子供はあの子一人でいい。そう思うんです。
誰かに私の代わりに生んでもらうとか、そういうことはしたくないです。

長くなっちゃった…。そして、暗くなっちゃってごめんなさい。

でも、もし子供に恵まれたらって考えると不安だけど、きっと幸せだと思う。
あの子も喜んでくれるよね…。

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