手話サークルで、Yちゃんに借りた漫画を読みました。

「わが指のオーケストラ」

ある男性が、音楽を学ぶためにフランスに行きたかったのですが、様々な事情で断念し、教師になりました。

赴任先は、大阪の盲唖学校。

目の見えない子供や、耳が聞こえずしゃべることができない子供たちの学校です。

彼は、赴任早々校長に
「あの子らの心に音楽を鳴らして欲しい」と言われます。

生まれたときから耳が聞こえない子供は、音楽というものがどんなものかわかりません。

それをどう教えたら、伝えたらいいか…。

音楽はもちろん、この世に言葉があること、ものに名前があることも知らずにいるのです。

その学校の子供たちは手話で会話をしています。

でも、その手話を学ぶことさえ彼らには難しかったはず…。

耳の聞こえる私たちなら「これは○○という意味の手話です」と、聞いて勉強することができますが、耳が聞こえない彼らは、ものに名前があって、手話ではこう表現すると言われても、理解することが難しいでしょう。

根気強く、ものを指差し、手話で表す…。
そうしてひとつひとつを理解する。

手話と言う「言葉」をもった子供は、水を得た魚のように生き生きと輝きます。

今まで、自分の周りで起こっていた出来事。それが何なのか、何故周りの人々が笑ったり、泣いたりしているか、言葉を持たない彼らには、わかる術がないのです。
手話を手に入れることによって、情報を得ることができる。

どれほどの喜びだったことでしょう。

彼らの先生になった男性は、その手話を使って、
「安寿とずし王」の物語を聞かせます。

優しいくだりは手話も優しく。
荒荒しいくだりは、手話も激しく。
登場人物の台詞も、男性女性で表し方も異なります。

子供たちの心に、感動が生まれます。
耳の聞こえる人が音楽で培われる優しさを、彼らは物語によって知ったのでした。

この漫画の先生は、実在の人物がモデルになっています。

この男性はその後、その学校の校長となり、聾唖者の教育に生涯を捧げます。

時代が手話を追いやり、口話を進めようとする時も、一人戦います。

確かに、耳が聞こえなくとも、読唇ができ発音できれば健聴者と変わらない生活ができるかもしれません。

でもそれを習得できるのは、ほんの一握りの聾唖者だけ。難聴者や、わずかでも音を聞き取れる人だけでしょう。

聞いたことも無い音を、どうやって発音すればよいのでしょう?

唇の動きも、読み取るには大変な訓練が必要です。
「たまご」と「たばこ」を鏡を見ながら発音してみてください。
違いはほとんどないはずです。


なんか、難しい話しになってしまいました。(笑)

昔は、手話(手真似)を嫌ったそうです。

そうすることで“普通の人”から遠ざかる。
訓練さえすれば、みんなが聞こえる人のように話すことが出来ると考えた人がいたそうです。
でもそれは、聞こえない人にとっては迷惑な話しだったのかもしれませんよね。

私たちが英語を習うように、手話や点字を習えばいいのに…。そう感じました。

私自身は、そこまで考えて手話サークルに入ったわけではないけど、この漫画を読んで色々考えてしまいました。

どんな人にとっても完全な世界って、やっぱり実現不可能なのかなあ…。


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