細かいのかな?

2002年12月11日
先週、手話サークルで
「○○百貨店の屋上で(昔)ビアガーデンをしていました。
 覚えていますか?」
という文章がテキストに載っていて
たまたま出席していた聾唖者の人が訳してくれた。

でも
「ビアガーデンをしていました」
のところを
「ビアガーデンに行きました」
って訳したのね。

σ(’-’*)は、「していた」という言葉に
「あの百貨店でビアガーデン、やってたよね〜」
ってニュアンス、もしくは経営者の人が
「ビアガーデンを開いてたんですよ」って言う
イメージを持ってしまったので
「行きました」と訳されるのは違う気がして
みんなの前でσ(’-’*)の考えを言ったのだけど
他の人は誰も疑問に思わなかったらしくて。。。

σ(’-’*)の意見はみんなには理解してもらえなくて
聾唖者の人も首をかしげて
「していました」という場合の訳は教えてもらえなくて
σ(’-’*)としても言っちゃった言葉を
中途半端に引っ込められなくなって
すご〜〜〜〜〜く気まずいムードになっちゃった。

「あ〜〜〜。。。言わなきゃよかったかも」って
思ったけど、もう遅い。

「そんなにこだわらなくても」
みたいに言われちゃった。
でも、それってどうだろ?
別にたいした問題じゃないかもしれないけど
「言葉を聾唖者に的確に伝える」ためには
そういうのに敏感にならなきゃいけないんじゃないかな?って
σ(’-’*)は思うんだけど。。。

ある人が
「みかりさんは日本語を大切にしているんだね」
って言って、フォローしてくれたけど
なんとなくすっきりしなくて
「これから疑問に思っても、言うのやめようかな?」
って気分にさせられた。

で、今週は先週欠席だった人(前年度の会長さん)が
同じ文章を訳したときは
ちゃんと「している」と表現してくれた。

ちょっと、ホッとしたんだけど
先週あの場にも居て、今日のその手話を見た人で
このことに気づいた人っているんだろうか?


でもその元・会長さんが
eメールアドレスを読み上げるとき
“.(ドット)”を、“コロン”と言ったの。

それは“:”やって〜〜〜〜。
と、思って言いたくて仕方なかったんだけど
ぐぐっと我慢しておきました。(笑)

先週に引き続き、小姑発言(?)するのも嫌だったし。。。

でも誰か気づいて「違いますよ」って
言ってくれたらいいんだけど
誰も気づかなかったのかな。。。?( ̄▽ ̄;)

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索